Power Chorus Concept

この歌声が、生き抜く力。

[Concept Talk]

例えば、バロック音楽というのはバッハ(〜1750)程度の時代以前の、「メロディー同士の組み合わせ」を主な作曲技法とする時代の音楽のことです。ハイドンやモーツアルト以降の「和音構造にメロディーが乗っている」という古典時代の音楽とは明確に区別されます。

もし日本の楽団が、「こんにちは、横須賀バロック楽団と申します。一曲目はモーツアルトの小夜曲です。」と言って演奏していたら、国際的な音楽家たちからは「極東の島国だからやはりリテラシーが低いのはしょうがないか」、などと思われてしまうでしょう(幸い、日本のクラシック音楽のレベルは高く、そのようなことは実際には起こりません)。

ゴスペルも同様で、「〇〇ゴスペルサークルです。一曲目は、Seasons Of Love です」 と言えば、国際的なゴスペルアーティストからは、リテラシーの低さに呆れられてしまう可能性があります。

私たちはこれからも、望む通りゴスペルも、ゴスペルでない音楽も歌います。しかし、ゴスペルを「名乗る」ことについては、文化的な敬意を持って考えるべきだと Power Chorus というコンセプトでは考えます。

[Concept Talk]

 例えば、ソーラン節は北海道の漁師たちが作業にあたって歌った仕事歌です。その歌を今日、私たちは自由に歌えますし、魚を取らない私たちがそれを歌ってもそれに異を唱える人もいないでしょう。
 しかし、魚を取ったことがないのに 「私たちはソーラン節を歌っているから漁師である」と、主張する人がいたら、その論理に賛同する人はおそらくいません。

ゴスペルも同様で、「We worship You(私たちはあなた礼拝します)」、「We sing a song in the sanctuary(私たちは祭壇で歌う)」と歌うのはいつも自由で楽しいことですが、「実際には歌詞の通りしていない人々」がゴスペルグループ/ゴスペル指導者を名乗れば、ゴスペルを知っている人々からその言葉の使用法に賛同してもらうのは難しいかもしれません。

歌うかどうかではなく、名乗るかどうか、について国際的な標準や文化的な良識を考えるのが、Power Chorus であり、これは、ゴスペルを実際に伝える人々への敬意をもちながら歌い続けるための言葉です。

[Concept Talk]

 ゴスペルの語源は、god spel で、よく「神の言葉」と誤解している日本の解説が見られますが、より正確には「good news」です。この god は古いアングロサクソンの言葉で good の意味で、現在の英語のGod(神)と語源としては同じである、ということに過ぎません。

 新約聖書の最初の4セクションが「Gospel」で、日本では「福音(書)」と訳し、大変美しい訳だと感じます。本当に語源が「神の言葉」なら、「神語」か何かと訳されていたでしょうし、聖書の中で福音書だけが神の言葉ということもありません。
 福音書は、キリストの人生や講話についての情報を集めた「記事」です。「キリストの降誕といういいニュース」の意味で、2世紀にはGospelと呼ばれていたそうです。

 アメリカ人などの耳には「〇〇ゴスペルサークル」という名前は「〇〇福音サークル」と響いていますので、その音楽活動がキリスト教活動でないという日本の状況の理解に混乱が生じます。

Power Chorus は、グローバル化が進む世界の中で、国際的な混乱を避けるための言葉です。

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